付録第7話 藤州(ダンチャウ)の地の守り神の伝説
Truyện thần thổ địa Đằng Châu
李太祖(リータイトー)がまだ皇帝になる前に
土地の神の寺院を立てる話
その頃は皇帝の座を巡って殺し合いが大変な時代です
彼はお父さんがいなくて、お寺で育ったのだそうです
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この神は元々は藤州(ダンチャウ)の地の古い廟の守り神でした。黎太祖(レータイトー)は、当時はまだ領主でした。そして軍を集めて、藤州(ダンチャウ)で新しい集落を作っていました。ある時、王が散策していると、この村に着き、川の真ん中を進んでいる船が、突然大雨と暴風に遭遇し、そこに停止しなければなりませんでした。
王が、「川岸にある寺院は何か。何か霊能はあるのか。」と聞くと、答える者がありました。「それは藤州(ダンチャウ)の地の守り神の寺院です。この地の人々は河の州の雨が止むことを祈り、非常に霊験あらたかです。」王は大声で言いました。「もし大雨が降って、川のこちら側半分が止むならば、それは実に英霊である。」すると、あっという間に川の半分が雨になり、半分では止みました。王は畏敬の念を感じ、寺院の改築を命じ、香を焚き崇拝しました。
村の人々には、このような詩があります。
立派な大王の大いなる威信よ、
藤州(ダンチャウ)の地に神霊は顕れる。
暴風も雨も侵すことはできない、
あちらでは雨が降ってこちらでは晴れる。
王は、自分がうぬぼれた気持ちをもっていた事に気づきました。その後、黎臥朝(レーゴチェウ 986-1009)が亡くなって機会が訪れました。王は大事の策略を巡らそうとして、寺院に隠れ、霊能があらわれるのを待ちました。
ある夜、夢の中に、異人が来て言いました。「望む意志を持っていれば、あなたは成功するでしょう。すべての方向は順調であり、万国は太平を享受し、3年の間、人々の事業は順調で7つの寺院は安定するでしょう。」王は夢から覚めましたが、まだそれが何を意味するのか理解できませんでした。その夢は吉兆だという人もいました。
王はダンチャウ(藤州)を太平(タイビン)府として格上げし、開天城隍?(カイ ティエンタインホアン)大王をその神としました。重興(チュンフン 1285-1293)元年に、陳(チャン)朝は、カイティエンチャンコック(開天鎮國)の称号を与えました。
寺院は堤防の内側にあり、しばしば洪水で浸水します。川沿いの村の人々は、いつも見守っていて、荷車や馬、雨傘、大笠をもち、堤防を守りにいくような姿の1人の人が仕えています。ですから堤防が低くても水が災いを起こすことはありません。
何年もたって、川の水は寺院の高さまで上がって来ました。統元(トングエン 1522-1527)の丙戌(ビントゥァット)の年、村人たちは堤防の上に寺院を建てることを計画しました。全員が到着すると、寝殿がほぼ完成していました。郡役人も村人も草むらの丘の上で寝ました。すると誰かが地面を掘るための道具を持ってやってくるのが見え、お互いが仕事だと呼びあう声を聞きました。朝になると、柱や岩が堤防から離れて左に移動しています。本当に霊能あらたかです。
その後、神々の行列の日に、コアイチャウの知事のホアンナムキムは寺院について次の詩を吟じました。
州の土地は実に雄大で
開天の社は水害を抑える。
社は本当の奇跡を起し、
一夜にして神の技で移動する。
(興安(フンイェン)省?)キムドン(金洞?)県藤州(ダンチャウ)村の廟は、現在は雲王(ブアマイ)廟として知られています。
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