付録は神社仏閣の由来の話が多いです。
日本もそうですが、神社仏閣好きが多いんでしょうか?
写真はĐền Tam Giang(THÀNH PHỐ VIỆT TRÌのWebより)
白鶴川の神はきわめて霊験あらたかです。唐高宗(ドゥオンカオトン)時代の永徽(ビンフイ)の年(650~655年)、リートゥンミン(李常明?)は峰州(フォンチャウ)の都護職に就き、この土地が千里にも広がり、山と川に囲まれているのを見ると、白鶴川のほとりに道聖霊館?(ダオタインリンクアン)を建て、礼拝できるように、中に三清(道教の3人の神)の像を置きました。
そして、館の前と後ろにも小寺院を建て、崇拝の像を作りたいと思いましたが、誰の彫刻にするかをわからなかったで、香を焚いて祈って言いました。「ここにいる神よ、霊応があるなら、姿を現してください。私たちはそれにしたがって像を作り、前の小寺院にそなえますから。」
その日の真夜中に、彼は夢で2人の異人を見ました。外見は偉大で、美しく風雅で、どちらも護衛の兵士を従えており、前方では歌い、後方では叫び、トゥオンミンの方に向かってきて、小寺院に陣取るよう互いに戦っています。トゥオンミンはたずねました。「あなた様の姓と名は何ですか。どうか私たちが礼拝できるように教えてください。」 2人にはそれぞれ姓と名がありました。1人は石卿?(タックカイン)、1人は土鈴(トーレイン)です。トゥオンミンは才と技を競うよう頼みました。もし勝れば、その人が小寺院の前に置かれます。石卿?(タックカイン)が声に応えて走り、川岸に到着すると、川の上に土鈴(トーレイン)が先に着いているのが見えました。トゥオンミンは、夢の通りに、その形に彫像を作るよう彫り師に命じました。
土鈴(トーレイン)は前の小寺院の位置を得ました。神は霊験あらたかで、偉大で、峰州(フォンチャウ)の人々はみんなおそれ敬い、線香を焚いて崇拝しました。神は3つの川の守り神です。崇拝するならその霊験はひとしくあらたかです。陳(チャン)朝は、それを忠翼(チュンドゥック 功があった人の死後の敬称?)武烈補国現咸王?としました。
当時、学者の阮士固(グエンシーコー)は、王のお供として埃牢(アイラオ)に行き、ここに来て詩を作りました。
宝竜と護符が争い、 副将軍の話が残る。
謙虚な書生に望みはなく、 ただ今は平和を祈る。
また、学者の王務成(ブォンブタイン)もお共に行き勝利し、祝賀の詩を詠みました。
雄大な勇敢な千の軍隊、 バンナムの外で、城は圧倒される。
なぜあなたは川に言い続けるのか、 風はタンの兵に鶴の声を運ぶ。
この寺院は白鶴川の合流点にあり、白鶴川にはアンブー(鯉の一種)という魚の数十にもなる群れがいます。冬になると、漁師は魚を捕るために網を投げます。川の中にはこの魚以外はいません。アンブーは鯉のようで、匂いも味がよく、和え物やたたきを作るのに非常に便利で、最高級の食べ物です。 魚を捕ることができたら、人々は王の所にもって行き、売買は禁じられています。
アインブー魚は青い波の上、水を求めて踊る。
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