タグ「龍君(ロンクン)」が付けられているもの

魚の精(グーティン)の伝説

 東海には、魚蛇の精(魚精(グーティン)とも言う)がいて長さは五十丈を越え、ムカデの足のように多くの足があり、あらゆる形に変化し、計り知れない大きな霊異を起し、動く時は嵐のような音が鳴り響きます。人間の肉を食べるので、誰もが恐れていました。
 昔に人間のように見える魚がいたのが、東海の岸に着いて人間に変わり、話し方を覚え、徐々に成長し、たくさんの息子や娘を産み、魚やエビ、フネガイやシジミをよく捕まえて食べていました。
 また蛋人(ダンニャン)または蜒人という族もいて、海岸の小島に住んで、魚を捕まえることを専門とし、それから人間になり、蛮人(山の人?)との籾、刀、斧(※塩米、衣裳、刀斧)の交易のために東海をしょっちゅう行き来していました。
 海岸には、石の歯がギザギザな魚精(グーティン)岩が横たわってありました。岩の下には洞窟があり、魚精(グーティン)はそこに住んでいます。波風は荒く、通る道はなく、人々は別の道を開こうとしましたが、固い岩を彫るのは困難でした。この場所を通過する民の船は、いつも魚精(グーティン)によって被害を受けます。
 ある夜、仙人たち(または超人たち)が、旅人が通り抜ける所を作るために岩を彫っていました。魚精(グーティン)は(それを邪魔するために)白いオンドリに変身し山の上で鳴きました。仙人たちはその声を聞き夜明けが来たと間違えて、空に飛んで行きました。今では、人々はその道を仏陀洞(ファットダオハン)と呼んでいます。
 龍君(ロンクン)は被害を受ける人を憐れんで、一艘の船に変身し、水府(トゥイフ)の鬼(ダートア)に海神が波を起こすのを禁じるよう命じた上で、魚精(グーティン)岩の洞窟の岸に漕いで行き、1人の人をつかんで、魚精(グーティン)に食べさせるために投げようとするふりをしました。魚精(グーティン)が飲み込むために口を開けると、龍君(ロンクン)は赤く焼けた鉄の塊を持って魚の口に投げ込みました。魚精(グーティン)は飛び上がって、船の上に落ちバタバタしました。
 龍君(ロンクン)は魚の尻尾を切り落とし、皮をはいで山を覆いました。その場所は白龍尾(バックロンビ)と呼ばれています。魚の頭は海の外に流れ出して犬になりました。龍君(ロンクン)は石を取って海を塞ぎ、それを切りました。犬の頭に変わったそれは、現在は狗頭山(カウダウソン)と呼ばれています。体は曼求(マンカウ)へ流れて、その場所は曼求水(マンカウトゥイ)または狗頭水(カウダウトゥイ)と呼ばれています。

狐の精の伝説

 かつて昇龍(タンロン)城は龍編(ロンビエン)と呼ばれ、上古の昔にはここに人は住んでいませんでした。李(リー)朝の王太祖(ブアタイトー)が珥河(ニーハー)川のほとりで舟を漕いでいると、2匹の龍が舟を導きました。そこでこの地を昇龍(タンロン)とし、首都にしました。現在のキンホア城です。
 昔は西に小さな岩山があり、東に龍江(ローザン)川(蘇瀝江?)がありました。山の麓の洞穴には千年以上生きている九つの尾の白狐が住んでいて、妖怪、人間、鬼に化ける能力を持ち、あちこちに出没していました。
 その頃、傘圓(タンビエン)山の麓では、蠻(マン)人が木で柱を立て草を編んで家を作っていました。山の上には神聖な神がいて、蠻(マン)人はいつも礼拝していました。その神が、蠻(マン)人に稲を植えることや布を織って白い服を作って着ることを教えたので、白衣蛮(バックイーマン)(白い服の人)と呼ばれていました。
 九尾の狐は白衣族の人に化けて、蠻(マン)の人々が歌う中に加わって、男の子と女の子を山の洞窟に来るよう誘惑します。蠻(マン)人はとても困りました。
 龍君(ロンクン)は水府の省庁に命令を出し、派遣して、水面の高さを上昇させ岩の洞穴を破壊するようにしました。
 九尾の狐は逃げだし、水府の軍隊はそれを追い、洞穴を壊し、狐を捕らえて飲み込みました。この場所は深い淵に変わり、「狐の屍の淵」(つまり今の西(タイ)湖)と呼ばれました。後に妖怪を鎮めるため、霊廟、今の金牛寺(キムグートゥ)を建てました。
 湖の西側の畑はとても平坦で、地元の人々は作物を植え生計を立てています。現在は狐洞(ホードン)(キツネの洞穴)と呼ばれています。ここの土地は高く乾いているので人々は家を建てました。現在は狐村(ホートン)と呼ばれています。 古いキツネの巣窟は今は魯卻(ロークォック)村と呼ばれています。