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ehon4_1.jpg一夜沢の伝説(褚童子の伝説)

◆結婚したくない王女仙容
◆貧乏な童子(ドントゥ)
◆2人の結婚
◆河港の市場で大成功
◆童子(ドントゥ)仏教に帰依する
◆大きな国になり父が征伐に来る
◆国が消え去る
◆後日譚 クアンフック(光復)の戦い

◆結婚したくない王女仙容
 雄王(フンヴォン)三世(または十八世)に1人の娘が生まれました。名は美しい娘の仙容(ティエンズン)です。18歳になって容姿は優れて美しく、結婚はいやで遊ぶのが好き。あちこちを旅していていました。雄王(フンヴォン)三世はそれをとがめませんでした。毎年2、3か月は船をしたてて、海でセーリング、楽しくて家に帰ることも忘れていました。

◆貧乏な童子(ドントゥ)
 その頃、大きな川のほとりの褚舍(チュウサ)村(huyện Gia Lâm, thành phố Hà Nội)に、褚微雲(チュヴィヴァン、または褚微子)という人がいて、褚童子(チュドントゥ)という息子が生まれました。父は子を慈しみ、子は親に孝行し、でも家が火事にあって、財産はすべて無くなってしまったのです。ただ1枚腰巻きだけが残っていたので、父と息子は、出かけるときはかわるがわるそれを着けていました。
 父が重い病気になった時息子に言いました。「父が死んだら裸にして埋めて、お前は腰巻きを持っていなさい。」息子はそうするに忍びなく、腰巻きを使って父の亡骸を包みました。
 童子(ドントゥ)の体は丸裸で、空腹で寒くて惨めでした。川縁に立って商いの舟が通り過ぎるのを見るたびに、水の中に立って物乞いをしました。

◆2人の結婚
 あるとき、彼が稼ぎのために魚を捕っていると、思いがけず仙容(ティエンズン)の船が近づいて来ました。太鼓と鐘のドラムのエレガントな音楽が流れ、侍従もたくさんいます。
 童子(ドントゥ)は恐ろしくなりました。砂州の上には葦の草むらがあり、木がまばらに数本生えていました。童子(ドントゥ)は身を隠そうと、砂の穴を掘って横たわり、体に砂をかぶせました。
 そのすぐ後に、仙容(ティエンズン)は砂州で散歩を楽しむために船を係留し、水浴びするために草むらを幕で囲うよう命じました。仙容(ティエンズン)が天幕に入り、服を脱いで水を注ぐと、砂が流れて、童子(ドントゥ)が現れました。
 仙容(ティエンズン)はしばらく驚いていましたが、それが男子であることを知って言いました。「私は元々は結婚はしたくありませんでした。今この人に会って、同じ1つの穴に裸でいっしょにいて、これは天の運命なのでしょう。あなたはどうぞ立って水を浴びてください。あなたに着る服を与えましょう。そして、船に乗って祝賀会をしましょう。」
 船の人々は皆、今まであったこともないめでたいことだと考えました。童子(ドントゥ)は言いました。「いいえ、できません。」仙容(ティエンズン)は嘆いて、夫婦になるように命じましたが、童子(ドントゥ)は断りました。仙容(ティエンズン)は言いました。「これは天が縁を結んだことです。どうして拒むことができるでしょう」
 侍従は急いで戻って王に報告しました。雄王(フンヴォン)は言いました。仙容(ティエンズン)は名節(名誉と節操)を無視して、私たちの財産も気にかけていない。外をほっつき歩き、自分を卑しくして貧乏人を婿に取った。合わす顔などもうない。」

◆河港の市場で大成功
 仙容(ティエンズン)はこれを聞いて恐れ、無理に戻るのはやめて、童子(ドントゥ)といっしょにいることにして、河の港の市場を開き、街を建設し、人々と商売をしました。市場はだんだんと大きくなっていきました。(今は深(タム)市場または河梁(ハールオン)市場と呼ばれています)
 外国の富裕な商人が、貿易のために頻繁に往来きし、仙容(ティエンズン)と童子(ドントゥ)を領主として崇拝します。
 ある金持ちの商人が言いました。「身分の高い人は黄金1鎰(ダット 約800~1,000g)でも出します。今年海外で貴重なものを買ったら、来年には10鎰(ダット)にもなるでしょう。」仙容(ティエンズン)は喜び童子(ドントゥ)に話しました。「私たち夫婦は天が使わした者です。食べ物も衣服も天が与えます。さあ黄金を携えて金持ちの商人といっしょに貿易に船出し、生計を立てましょう。」童子(ドントゥ)はついに家の者たちと海外に出かけました。

◆童子(ドントゥ)仏教に帰依する
 瓊園(クインヴィェン)山という所には、山頂に小さな庵があり、家の者は船をつないで水を汲みました。商人たちはよくそこに立ち寄って飲み食い飲みしていました。童子(ドントゥ)は山の家の庵を訪ねました。そこには仏光(グォンクアン)という名の僧がいて、仏法を童子(ドントゥ)に伝えました。童子(ドントゥ)はそこに留まって学び、家の者には商売を行うためにお金を与えました。買い入れが終わると家の者は童子(ドントゥ)を迎えに庵に戻ってきました。僧は童子(ドントゥ)に1本の杖と1つの笠を与えて言いました。「霊聖はここにある。」
 童子(ドントゥ)は戻って仏教の道を説きました。仙容(ティエンズン)も仏教に帰依しました。2人は街、市場そして家業を捨て、教えを学ぶための師を探しに遠くまで出かけました。道の途中で暗くなりましたが、まだ村は見えません。2人は路上で泊まることにして、杖をつかんで笠をかぶって身を休めました。

◆大きな国になり父が征伐に来る
 真夜中になると、城郭、翡翠の楼、宝物殿、回廊、倉、神殿が現れました。金銀珠玉、寝床に布団に垂れ幕、仙童天女、兵士に護衛が目の前に並んでいます。翌朝それを見た人はみんなびっくりしました。香花、食べ物を持ってきて捧げ、自分たちが仕えさせてもらえるよう頼みました。文官武官あらゆる官職を置き、警備隊も作り、独立した国を作りました。
 雄王(フンヴォン)は知らせを聞いて、娘が反乱を起こしたと思い、征伐のために軍隊を送りました。仙容(ティエンズン)の群臣たちは彼女に国を守って戦うために軍隊を送るように頼みました。仙容(ティエンズン)は笑って言いました。「私はそうしたくありません。すべて天が決めること、生きるか死ぬかは天のまま。どうして父に刃向うことができるでしょう。ただ道理に従うだけです。剣で殺し合うのはやめておきましょう。」

◆国が消え去る
 そして新しく集まった人々は皆恐れて逃げ、古くからの人々だけが残りました。官軍はやって来て砂州の上に陣を構えました。しかし大きな川で隔てられている上、日が暮れて軍は進むことができません。夜半になると、強風が起こり、砂を吹き飛ばし木をなぎ倒しました。官軍は大混乱しました。仙容(ティエンズン)は人々や城郭と共に瞬時に天に舞い上がり、地面は陥没して巨大な低湿地になりました。
 その後、人々は祠廟(しびょう 祈るための祠)を建て、四季ごとに犠牲を捧げ、低湿地を一夜沢(ニャットザチャック)(一晩でできた低湿地を意味します。)と呼びました。砂州は幔幮(マンチュー)州、市場は深(タム)市場あるいは河梁(ハールオン)市場と呼ばれています。

◆後日譚 クアンフック(光復)の戦い
 その後、北の後梁(ハウルオン)王は、陳霸先(チャンバーティエン)に命じ、軍隊に南部を侵略させました。南の李南(リーナム)帝は趙光復(チェウクアンフック)に敵に抵抗するように命じました。
 光復(クアンフック)は軍隊を低湿地に潜ませました。低湿地は深く広がっていて、敵の軍隊は邪魔をされて、兵を進めるのは困難でした。光復(クアンフック)は丸木舟を使って、奇襲をして敵の食料を盗みました。長い間耐え続けて敵軍は疲労してきました。3、4年の間は戦闘になることはありませんでした。霸先(バーティエン)は嘆いて言いました。「昔々この地は一夜にして天に帰る沢だったが、今は一夜にして人から盗む沢だ。」
 北で侯景(ハウカイン)の乱が起きると、梁(ルォン)王は霸先(バーティエン)を呼び戻し、楊孱(ズォンサン)を中将軍に任命して兵士たちを指揮させました。光復(クアンフック)は斎戒して、低湿地の真ん中に祭壇を作りました。香を焚いて祈祷すると、突然龍に乗った神(あるいは褚童子(チュードントゥ))が祭壇(あるいは低湿地)に飛んで来て、光復(クアンフック)に言いました。「私は天にあるが精霊はここに現れた。お前たちが熱心に祈るので、助けに来て賊の乱を鎮めよう。」話し終わると彼は龍の爪を取って、それを光復(クアンフック)に与えて言いました。「これを兜にのせれば、矛で敵を倒せるだろう。」そして、空に飛んで行きました。
 光復(クアンフック)はそれを受け取り、喜んで叫び、戦闘を始め、梁(ルオン)軍を大敗させました。陣地の前で楊孱(ズォンサン)を矛で斬り、敵の梁(ルオン)軍は退却しなければなりませんでした。光復(クアンフック)は南帝(ナムデー)が亡くなったと聞いて、独立するために趙越王(チエウヴィェットブォン)となり、鄒山(ブーニン)県の鄒山(チャンソン)に城を建設しました。(一説では南海海門外の石河県園山すなわち金木山です。)

sach (2).jpg鴻龐(ホンバン)氏の伝説

内容

◆貉龍君(ラックロンクァン)が生まれ王になる
◆貉龍君(ラックロンクァン)民に農業を教える
◆帝来(デーライ)と嫗姬(オーコー)が南に来る
◆貉龍君(ラックロンクァン)民を助けに来て、嫗姫(オーコー)と出会う
◆帝来(デーライ)北(中国)に帰る
◆神農(タンノン)氏の滅亡
◆百人の息子が生まれる
◆嫗姫(オーコー)が龍君(ロンクァン)を責める
◆龍君(ロンクァン)の言い訳と離婚
◆文郎(ヴァンラン)国と雄王(フンブン)の始まり
◆蛟龍(ザオロン)の被害を避けて入れ墨をする
◆百越(バックビェット)の人の衣食住
◆百越(バックビェット)の人の子育てと結婚

鴻龐(ホンバン)氏の伝説

◆貉龍君(ラックロンクン)が生まれ王になる
 炎帝神農(ビエムデータンノン)家三代目の帝明(デーミン)には、帝宜(デーギ)という子がありました、帝宜(デーギ)は南部巡狩(じゅんしゅ 視察)の機会に五嶺(グーリン)山に行き、仙女の婺仙(ブティエン)の娘と結婚しました。国に戻ると祿續(ロックトック)が生まれました。孫の續(トック)の美しい姿と聡明さに帝明(デーミン)は非常に驚きました。そして、彼に王位を継がせようとしました。しかし祿續(ロックトック)は断って、兄に譲位するよう頼みました。
 そこで帝明(デーミン)は後継ぎに兄の嗣(ギ)帝を立てました。一方、祿續(ロックトック)は、南部を統治するように涇陽王(キンズオンブオン)の地位を与えられ、その国の名を赤鬼(シッククア)としました。涇陽王(キンズオンブオン)は水府(トゥイフ)に行く事ができました。そこで洞庭(ドンディン)湖の龍王(ロンブォン)の娘と結婚し、崇纜(スンラム)つまり貉龍君(ラックロンクン)という名の子を成し、彼に国を統治させました。その後涇陽王(キンズオンブオン)はどこへ行ったのか、死んだのかはわかりません。

◆貉龍君(ラックロンクン)民に農業を教える
 貉龍君(ラックロンクン)は民に農業と桑の栽培を教え、君主臣下の序列、父と子、夫と妻の道徳を確立しました。時々水府(トゥイフ)に帰りましたが、百姓たちは平穏無事で過ごしました。どうしてそのようにできたのでしょうか。  もし民に何かある時は大声で「父よ、私を救ってくれませんか」と呼ぶと、龍君(ロンクン)はすぐにやって来ました。龍君(ロンクン)には人間には計り知れない霊感がありました。

◆帝来(デーライ)と嫗姫(オーコー)が南に来る  
 帝嗣(デーギ)は王位を息子帝来(デーライ)に譲り北の地を統治させました。天下は安泰だったので、帝来(デーライ)は自分の代わりに臣下の蚩尤(スイブー)に国政の世話を命じ、南方の赤鬼(シッククア)国を巡行しました。その時、龍君(ロンクン)は水府(トゥイフ)に帰っていて、赤鬼(シッククア)国に主はいませんでした。帝来(デーライ)は娘(または妾)の嫗姫(オーコー)と侍従をそこに住まわせ、自分は名所や景勝を見る天下周遊に出かけました。エキゾチックな草花、めずらしい獣、犀に象に鼈甲、金銀に胡椒肉桂、石乳に沉香檀香、山海の幸、ない物はなく、四季折々の気候は寒くも暑くもありません。帝来(デーライ)はそれらを愛し、帰るのを忘れるほど喜びました。

◆貉龍君(ラックロンクン)民を助けに来て、嫗姫(オーコー)と出会う
 一方で南方の民は北の人々に乱暴を受けて苦しみ、以前のように平和に暮らすことができなくなって、龍君(ロンクン)を呼びました。「父よどこにいますか、北の人間に侵略させて民を悩ませたままなのですか。」
 龍君(ロンクン)はすぐに戻って来ました。ところがエキゾチックで美しい姿の嫗姫(オーコー)を見て喜び、彼は姿が美しい秀麗な青年に変身し、前後左右にたくさんの従者を従えて、歌ったり、太鼓を叩いたりして歩きました。宮殿に着くと、嫗姫は喜んで、龍君(ロンクン)について行くことにしました。龍君(ロンクン)は龍岱(ロンダイ)岩に嫗姫をかくまいました。

◆帝来(デーライ)北(中国)に帰る
 帝來(デーライ)が戻って来ると、嫗姫(オーコー)が見えません。彼は廷臣にあちこちを捜索するよう命じました。龍君(ロンクン)には、妖精や鬼、竜、蛇、虎、象など何百もの形に変化(へんげ)する術がありますから、捜索者は皆恐がって捜索に挑まず、帝來(デーライ)は国へ戻らなければなりませんでした。

◆神農(タンノン)氏の滅亡
 北の地では榆罔(ドゥボン)帝の治世に移ると、蚩尤(スイブ-)が反乱を起こしました。有熊(ヒューフン)国の王である軒轅(ヒエンビエン)は、家臣たちを連れて戦いましたが、勝てませんでした。蚩尤(スイブ-)は動物ですが人間の言葉を話し、とても勇敢で強力です。しかしある人が軒轅(ヒエンビエン)が動物の皮の太鼓を使って指令をすると蚩尤(スイブ-)に教えると、彼は恐くなって涿鹿(チャンロック)に撤退しました。帝榆罔(デードゥボン)は家臣の国に行って、板泉(ファントゥエン)で軒轅(ヒエンビエン)と3回の戦闘を行って敗北し、洛邑(ラックアップ)の地に下って、そこで亡くなりました。神農(タンノン)氏はついに滅亡しました。

◆百人の息子が生まれる
 龍君(ロンクン)が嫗姫(オーコー)と結婚して1年たち、1つの胞衣(えな)が生まれましたが、不吉な兆しと見なされて畑に投げられました。6、7日過ぎると、胞衣から百個の卵が出てきて、それぞれの卵から男の子が1人ずつ生まれたので、やっと連れ帰って家で育てました。乳を飲まないのに、子供たちは成長し、驚くほど美しく、賢く勇ましいので、人々は皆感服し、常ならぬ兆しと考えました。

◆嫗姫(オーコー)が龍君(ロンクン)を責める
 龍君(ロンクン)は水国(トゥイコク)に長い間暮らしていて、別居している彼の妻と子供たちは、いつも北に戻りたがっていました。それで嫗姫(オーコー)たちが国境に行くと、黄帝(ホアンデー)が聞いて非常に恐れ、兵を出して警備をさせました。  嫗姫(オーコー)たち母子は国に帰ることができなくて南に戻り「あなたはどこにいるの?母と子だけで孤独で、昼も夜もこんなに悲しくて」と龍君(ロンクン)を呼びました。彼はすぐに戻って、曠野(トゥオン)の地で会って互いに話し合いました。嫗姫(オーコー)は言いました。「私はもともと北の人間で、王といっしょに暮らし、百人の息子を産みました。王は私を捨てて行ってしまい、子供を私といっしょに育てないで、夫無く妻無く独り身にさせ、ただ自分だけを愛しています。」

◆龍君(ロンクン)の言い訳と離婚
 龍君(ロンクン)は言いました。「私は龍の血統で水族の長です。あなたは仙人の血統で地上の人です。陰陽が合って子を成しましたが、水と火は相容れないし、人種が同じではありませんから、長くいっしょにいるのは難しい、今は別れなければなりません。私は50人の子どもを水府(トゥイフ)に連れて行き、土地を分けて支配します。残りの50人はあなたに従い、地上に戻り、国を分割して支配しなさい。山に登り、水に下り、何かあるときは知らせ合い、互いに忘れないでいましょう。」
 100人の子供たちは聞いて従い、そしてお別れをして去って行きました。
◆文郎(ヴァンラン)国と雄王(フンヴォン)の始まり
 嫗姫(オーコー)と50人の子供たちは、峰州(フォンチャウ)の地に登り、互いに敬い従うとともに、長子を尊重して国の王、その名を雄王(フンヴォン)としました。国の名は文郎(ヴァンラン)とし、東は南海(ナムハイ)に接し、西は巴蜀(バートゥク)に到り、北は洞庭(ドンディン)湖、南は狐猻(ホートン)精国(占城(チエムタイン)のこと)に到ります。国を15部(郡)に分割し、越裳(ビエットトオン)、交趾(ザオチ)、朱鳶(チュ-ジエン)、武寧(ブーニン)、福祿(フックロック)、寧海(ニンハイ 南寧)、陽泉(ズントエン)(海)、陸海(ルックハイ)、懷驩(ホアイホアン)、九真(クーチャン)、日南(ニャットナム)、真定(チャンディン)、文郎(ヴァンラン)、桂林(クエラン)、象郡(トォンクアン)などを、弟たちが分けて支配し、それぞれ相文(トォンバン)と将武(トォンブ)を置きました。相文(トォンバン)とは貉侯(ラックハウ)の文官、将武(トォンブ)とは貉將(ラックトォン)の武官を言います。
 王の息子は官郎(クアンラン)、王の娘は媢娘(ミーヌオン)と呼び、いろいろな役人の百司(チャムクアン)は蒲正(ボーチン)、臣僕奴隸(タンボックヌーレ)は稍稱(サオスン)または奴婢(ヌーティ)と呼ばれました。王の臣下は瑰(ホン)と呼ばれ、代々父から息子へと受け継がれるのは逋導(フーダオ)と呼ばれます。代々の王は雄王(フンヴォン)と呼ばれ、変わることはありません。

◆蛟龍(ザオロン)の被害を避けて入れ墨をする
 当時、森の周りに住んで魚を取るために水辺に行く人々は、いつも蛟龍(ザオロン)族の害を受けたので、雄王(フンヴォン)に頼みました。雄王(フンヴォン)は言いました。「山の人のグループと水族のグループはお互いに恨みを持っており、いつも憎み合い、お互いに害を成します。」そこで、人々に龍君(ロンクン)の形や水の怪物の入れ墨を入れさせました。それ以来、人々は蛟龍(ザオロン)の被害を受けていません。百越(バックビェット)の入れ墨の習慣はここから始まりました。

◆百越(バックビェット)の人の衣食住
 国の初期には、人々は生活に必要な品物を十分に持っていないので、木の皮を使って衣服(または紙)を作り、萱(かや)を編んでゴザを作り、米の絞り汁を使って酒を作り、さとうやしの木や棕櫚(しゅろ)の木を使って使って主食を作りました。(それを飲むとも書かれています。)鳥や獣、魚や淡水の亀で塩漬けを作り、生姜の根をムオイ(塩)(調味料か?)にし、刀で耕し、火で植え(?)ました。土地ではたくさんのもち米ができ、竹の筒を使ってもち米を蒸し、トラやオオカミを避けるために高い木の家を作りました。髪はジャングルの中を歩きやすくするために短く切りました。

◆百越(バックビェット)の人の子育てと結婚
 子どもが生まれたら、バナナの葉でくるみ、死ぬ人があれば、臼を叩いて知らせ、隣人は音を聞いて助けに来ます。まだキンマがなかったので、男女の結婚は、塩釜を先にもって、その後水牛と山羊を供物として殺し、蒸した餅米を食べて、部屋に入って後、初めて2人は一体になります。100人の息子はまさに百越(バックビェット)の祖先なのです。