付録第10話 鴻嶺(ホンリン)山の神の伝説
Truyện vị thần núi Hồng Lĩnh
不思議な仙女の伝説です
鴻嶺(ホンリン)山は乂安(ゲアン)道にあります。かつて、羅山(ラソン)県で、4人の木こりが山に行って、山の中の湖で平らな岩の上で水浴びする1人の美しい人を見ました。美しい人は4人を見て、急いで湖に飛び込みました。すると、突然、大きな亀が水面に浮かんできたので、4人は恐れて、湖に取った物をたくさん残して逃げました。
4人が1日中歩いても進まずに過ぎると、突然異人がやって来て言いました。「取った物を置いていくなら、ここから出られる。家に帰ったら山の中での話は誰にも知らせてはならない。」その後、話を漏らした人があって、その人は血を吐いて死んでしまいました。
神宗(タントン)帝の代に、王はこの山に来て、山頂に道標を建てました。山には90の峰があります。湖を見る事ままったくできずに、波が打ち寄せる音だけを聞きました。天気はほどなく雨になりました。神に非常な霊能があるのがわかって、王家は礼拝をするよう命じました。今日でも、人々は昔の話を語ります。
その場所は、乂安(ゲアン)省徳光?(ドゥククアン)府羅山(ラソン)県の鴻嶺(ホンリン)山で、現在は宜春(ギスアン)と干祿(カンロク)の2つの県となっています。
後半では、道行(ダオハイン)が候の夫人を妊娠させ、生まれ変わり、帝の養子となって皇太子になり、次の皇帝になり、でも病気になって、かつての弟子明空(ミンコン)に治してもらいます。
○道行(ダオハイン)が夫人を妊娠させ、入滅する
○道行(ダオハイン)は生まれ変わり帝になる
○道行(ダオハイン)と明空(ミンコン)の因縁
○明空(ミンコン)が不思議な力を示す
○明空(ミンコン)が道行(ダオハイン)の重病を治す
○道行(ダオハイン)が夫人を妊娠させ、入滅する
路(ロ)はそのまままっすぐ侯の邸宅に行き、夫人の沐浴所に向かうと中を見渡しました。夫人は非常に怒り、候に言いつけましたが、候はその意味を理解していて、何も聞きませんでした。夫人は妊娠しました。路(ロ)は候に言いました。「夫人の出産の時が来たら、必ず事前に知らせてください。」
出産の時が来て、路(ロ)は知らせを受け、風呂に入って服を着替え、弟子たちに言いました。「私の宿因(因縁)は終わっていない。私は再びこの世に生まれ変わらなければならず、しばらくの間王になる。寿命になって死ぬ時は、二十(二十二)天神(20人の神が悪鬼を退治すること)を行う。もしこの身が壊れて土になるのを見たら、それは私が泥中に入ったので、もはや生きておらす入滅したのだ。」弟子たちはそれを聞いて、誰もが感動して涙を流しました。
路(ロ)は禅詩を詠みました。
秋が来て、雁の帰還が報じられない、
悲しむ人々の中で静かに微笑む。
弟子たちに執着しないよう伝え、
古い師は幾度も今の師となる。
○道行(ダオハイン)は生まれ変わり帝になる
詠み終わると、そのまま亡くなりました。候の夫人はついに男の子を産み、陽煥(ドゥオンホアン)と名付けました。3歳になると、仁宗(ニャントン)帝は彼を宮中で育て、皇太子にしました。仁宗(ニャントン)が亡くなると、皇太子は即位して神宗(タントン)帝となりました。それは路(ロ)の生まれ変わりです。
路(ロ)の亡骸は、寧山(ニンソン)県の佛迹(ファットティック)山にある天福(ティェンフック)寺の岩の中に今も安置されています。
○道行(ダオハイン)と明空(ミンコン)の因縁
さて、その昔、長安(チュオンアン)の地の大黃(ダイホアン)(または嘉遠(ザーヴィェン))県の潭舍(ダムサー)村では、國清(クォックタイン)寺に阮至誠(グェンチータイン)と言う人が住んでいました。僧名は明空(ミンコン)国師と言い、若い頃に遊学し、道行(ダオハイン)(路(ロ)の事)に出会い、教えを学ぶこと10年以上になります。道行(ダオハイン)は、彼の不屈の心がけをほめ、悟りの印を与え、この名を与えました。
道行(ダオハイン)はこの世を去る時、明空(ミンコン)に話しました。「かつて私の尊師は修行を果たしたが、なお切り傷の報いを受け続けた。この暗く難しい末世で、どうして自分を保つことができるのか。今、世に出ようとしている私は、人の上に立つ立場でいながら、生まれ変わった後の病気の苦しみは避けることができない。あなたとは縁があるから、互いに助け合い救うのだ。」そして道行(ダオハイン)は世を去り、明空(ミンコン)は古い寺に戻り、畑を耕しました。
○明空(ミンコン)が不思議な力を示す
20年以上、何の新しい知らせもありませんでした。その頃、李神宗(リータントン)(道行(ダオハイン)=路(ロ)の生まれ変わり)は突然奇妙な病気にかかり、精神は錯乱し、痛みと恐怖で大声で叫びました。天下の良医が呼ばれて来て、その数、数千数万になりましたが、なすすべがありませんでした。時に歌を謡う小さな子がいました。「天子の病を治したいなら、阮明空(グェンミンコン)を得なければ。」朝廷は使者を送って探し、彼を見つけました。
明空(ミンコン)は使者が来るのを見ました。船には船を漕ぐたくさんの兵士が乗っています。それで精進料理を出して食べさせたいと欲し、小さな鍋にご飯を持って行き、船の兵士たちもいっしょに食事するよう彼らに言いました。「みなさん多いので、腹を満たせるか心配です。とりあえず食べてください。」漕ぎ手の兵士は数百人にのぼりましたが、みんなが食べても、食べ尽くせませんでした。
兵士が食べ終わると、師は言いました。「しばらく寝て、潮が満ちるのを待ってから行きましょう。」彼らは従い、全員が船でぐっすり眠りました。そしてあっという間に船は都に戻りました。漕ぎ手たちは驚いて目を覚ましました。
○明空(ミンコン)が道行(ダオハイン)の重病を治す
明空(ミンコン)が着いた時、色々な場所で学んだ有名な先生たちが宮殿で法術を行っており、明空(ミンコン)を無知な田舎者と見て、あいさつさえしませんでした。明空(ミンコン)は長さ約5寸の大釘を取って宮殿の柱に打ち付け、声を大きくして言いました。「この釘を抜くことができる者が、病を治す能力がある。」再三繰り返しますが、応じる者はありません。明空(ミンコン)は左手の2本の指で、釘が抜きました。誰もが驚いて感服しました。
神宗(タントン)に会った時、明空(ミンコン)は大声で言いました。「偉大な人が天子として即位し、四海の富を有しているのに、なぜそのように病で錯乱しているのですか。」帝はそれを聞いてとても震えて恐れました。明空(ミンコン)は大鍋に油を入れるよう命じ、それをよく沸かし、手で4回かき混ぜ、王の体全体に振りかけると、病気はすぐに治りました。帝は明空(ミンコン)を国僧に任命し、彼に報いるために数百戸分の禄(ろく)を授けました。
太平(タイビン)22年(※太平は3年間?)、辛丑(タンスー)の年、明空(ミンコン)76歳でこの世を去りました。