第2巻第14話 徵(チュン)姉妹の伝説
とても有名な、軍を率いて戦った徴(チュン)姉妹の話です。
●2人の姉妹
「史記」によると、徴(チュン)姉妹は雄(フン)氏の一族で、姉の名は側(チャック)妹の名は弐(ニ)と言い、峰州(フォンチャウ)の地の麊泠(メーリン)県出身で、交州(ザオチャウ)の将の雄(フン または貉)官の娘でした。側(チャック)は、朱鳶(チュージェン)県出身の詩索(ティサック または謝素)と結婚して、夫のために人として正しい道を守り、勇気があり、事を決断する力がありました。
当時、交州(ザオチャウ)の長官の蘇定(トーディン)はひどく貪欲で乱暴で、人々はとても苦しみました。
●長官を倒す
側(チャック)は定(ディン)が夫を殺した仇を討つために、妹の弐(ニ)と共に兵をおこし、定(ディン)を打ち、交州(ザオチャウ)を攻め落としました。九真(クーチャン)、日南(ニャットナム)、合浦(ホップフォー)の各郡すべてがこれに応え、2人の姉妹は嶺外(リンゴアイ 中国から見て南方)の65の都市を平定し、王としての地位を確立し、自らを稱徵(チュンブォン)氏と名乗り、都を烏鳶(オジェン)城に置きました。
蘇定(トーディン)が南海(ナムハイ)に戻ったとき、漢光武(ハンクアンヴー)は知らせを聞いて、儋耳(ダンニー)郡に戻った蘇定(トーディン)をやめさせ、馬援(マービェン)と劉隆(ルーロン)を将軍として代わりに送りました。
●中国の援軍に敗北
敵軍は浪泊(ランバック)に到着し、夫人は抗戦しました。年が過ぎ、馬援(マービェン)の兵力が強いのを見て、夫人は烏合の衆の自分たちの軍隊の力では抵抗できないと恐れがあると考え、禁溪(カムケ)の地を維持するために撤退しました。
援(マービェン)の軍は攻め込んで来て、徴(チュン)夫人の部下はみな逃げました。夫人の勢力は孤立して、陣地は陥落しました。夫人が希山(ヒーソンまたはハーソン)に登ったも言われますが、どこに行ったかはわからないのです。
世の人は悲しんで、喝江(ハットザン)川の河口に夫人を祀るために社を作りました。災難や病気の人は来て祈祷すると、霊験があります。
●姉妹の廟の修復
李英宗(リーアイントン)の時代に干ばつがあっって、王は禅師の感淨(カムティン)に雨乞いの祈祷を命じました。ある日雨が降り、寒さが人を凍えさせました。王は喜んで、それを見に出かけ、突然に眠りに落ち夢を見ました。2人の女性が芙蓉の冠をかぶり、緑の服に赤い帯を締め、鉄の馬に乗って風に乗って通り過ぎていきます。王が驚いて聞くと2人は答えました。「私たちは徴(チュン)姉妹で、上帝の命によって雨を降らます。」
王はさらに助けを求めました。2人は手をあげて止めました。王は夢を覚えていて、深く感じ入り、社を修復し、心を込めて祀るよう命じました。
その後、2人の夫人は王の夢に現れ、ドンニャン(同僚?)浜(古來郷?)に社を建てるように頼みました。王は聞いて従い、貞霊二婦人という名を与えました。
陳朝(チャンチエウ)は、再び「顯烈制勝純保順(ヒェンリェットチェータントゥァンバオトゥァン)」の美しい字の称号を授けました。今に到るまで代々崇拝されていて、お香の火が絶えることはありません。