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第2巻第13話 金の亀の伝説後半 媚珠(ミーチャウ)と仲始(チョントゥイ)の悲恋

ehon1_1.jpgこれはとても有名な悲恋の物語
政略結婚した媚珠(ミーチャウ)と仲始(チョントゥイ)ですが、仲始(チョントゥイ)が石弓の亀の爪を取って行ったため、安陽王(アンズォンヴォン)は負けてしまいます。
そして媚珠(ミーチャウ)は殺され真珠になり、仲始(チョントゥイ)も悲しんで後を追います。血の色なので黒真珠なんでしょうね。

●亀が帰還し爪で石弓を作る
 金の亀は3年間そこにいて、別れを告げて帰りました。王は感謝して言いました。「あなたのおかげで城ができました。もし外敵が来た場合、何をもって防げばいいでしょう。」金の亀は、「国の盛衰、社会の危険と安全は、天の意志によるものです。人は徳を積み、この幸運を延ばすことができます。しかし、王が望むならどうして惜しいことがあるでしょう。」それから彼は爪を外して王に渡して言いました。「これを使って石弓を作ってください。これで敵を撃てば、心配することはありません。」そう言い終えると東海に戻りました。
 王は皋魯(カオロー)に命じ爪を使って石弓を作させました。これは霊光金亀(リンクアンキム)神機の石弓と呼ばれます。

安陽王(アンズォンヴォン)と趙佗(チェウダー)の戦いと和睦
 その後、佗(ダー)の趙王(チェウブォン)は兵を挙げ、安陽王(アンズォンブォン)と戦いを交えました。王は神機の石弓を取り出して撃ちました、佗(ダー)軍は大敗し、鄒山(チャンソン)に退却し、同盟国に砦を置きました。戦いを挑む事ができなかったので、趙王(チェウブォン)は講和を求めました。
 安陽王(アンズォンブォン)は喜んで、椒江(ティエウザン)川の北は趙佗(チェウダー)に属し、南は王が支配すると約束しました。ほどなく、佗(ダー)は結婚を求めました。王は深く考えずに、娘の媚珠(ミーチャウ)を、佗(ダー)の息子の仲始(チョントゥイ)と結婚させました。

●仲始(チョントゥイ)の裏切り
 仲始(チョントゥイ)は媚珠(ミーチャウ)を手なずけて神機の石弓をこっそり見ると、潜んで行って金の亀の爪を別の物を作って交換しました。そして、父親を訪ねるために北に行ってくると嘘をつきました。
 「夫婦の愛情は忘れることはできないし、父母の親愛も捨てることはできない。私は今に国に帰りますが、もし両国の和平がうまくいかなくて、南北に離れるときがあれば、あなたを探しに来ます。その時の印は何にしますか。」彼女は答えました。「私は女子ですから、離ればなれになることは、耐えがたいつらさです。私は鵞鳥の羽毛の錦織の上着を持っていて、いつも着ています。どこへ行っても、羽毛を抜いて置いて、三叉路の道を示します。そうすれば、お互いを救うことがでるでしょう。」

●安陽王(アンズォンヴォン)の敗北
 仲始(チョントゥイ)は魔法の機械を国に持ち帰りました。「佗(ダー)は大喜びで、戦うために挙兵し、安陽王(アンズォンヴォン)を攻めました。
 安陽王(アンズォンヴォン)は神機の石弓を頼みにして、静かに将棋を打ち、笑って言いました。「佗(ダー)は神機の石弓を恐れていないのか。」佗(ダー)軍は迫ってきて、王は石弓を取りましたが、神の力が失われたのがわかって、逃げました。
 王は媚珠(ミーチャウ)を馬の後ろにのせ、南に向かって走りました。仲始(チョントゥイ)は鵞鳥の羽毛を見て、追いかけて来ました。王は海岸に着きましたが、道がなく渡る船もなく、困って叫びました。「天よ困ります。清江(タインザン)の使いはどこにいますか。急いで来て私を救ってください。」すると金の亀が水面に浮かんできて叱りました。「馬の後ろにいる者は敵だ。」
 王は媚珠(ミーチャウ)を切るために剣を抜きました。媚珠(ミーチャウ)は誓って言いました。「私は父の娘です。父に対して反逆する気持ちがあるなら、父に殺されて死んで塵になるでしょう。もし、忠孝の心があって他の人にだまされたのなら、死んで真珠に変わり、恥辱を雪(そそ)ぐでしょう。」

●媚珠(ミーチャウ)の真珠
 媚珠(ミーチャウ)は海岸で死に、血が水に流れ、その血を吸った貝から真珠が生まれました。王は七寸文犀(スンテーバイタック 宝物か)を持ち、金の亀は水を割って王を海に導きました。その場所は、演州(ジエンチャウ)府、高舍(カオサー)荘、夜山(ダソン)の地と言われています。
 佗(ダー)軍がそこに着きましたが、何もなく、媚珠(ミーチャウ)の体だけが残っていました。仲始(チョントゥイ)は妻の遺体を抱きしめ、螺城(ロアタイン)に運んで埋葬すると、遺体は翡翠に変わりました。媚珠(ミーチャウ)が亡くなり、仲始(チョントゥイ)は悲しみ、水を浴びているときに媚珠(ミーチャウ)のような姿を見て、井戸に身を投げて死にました。
 後の時代の人は、東海の真珠をこの井戸の水で洗います。すると非常に明るく美しくなるからです。真珠の名は大玖(ダイクー)、小玖(ティエウクー 黒く光る)と呼びました。媚珠(ミーチャウ)という名前を敬って避けるからです。

第2巻11話 李翁仲(リーオンチョン)の伝説

暴れん坊で困った李(リー)が、戦争で功を上げて将軍になるも、いやになって国に帰り、中国の皇帝の召喚も無視していたら、やっぱり死ぬことになる話
乱暴者が出世する話多いですね

 雄王(フンヴォン)の治世の終わり頃、交趾(ザオチー)の地の慈廉(トゥリエム)県瑞香(トゥイフォン)村に李(リー)という名の人がいて、生まれたから非常に大きく、背丈は2丈3尺でした。
 性質が凶暴で、よく人を殺し、死に値する罪をもっていました。雄王(フンヴォン)はその力を惜しんで罰することをしませんでした。
 安陽王(アンズォンヴォン)の治世になると、北の秦始皇(タントゥイホアン)は、軍隊を強くして戦うことを望んでいました。安陽王(アンズォンヴォン)は李身(リータン)を連れて来て、泰(タン)朝に捧げました。始皇(トゥイホアン)は非常に喜び、彼を司隸校尉(しれいこうい 奴隷などの監督官)に任命しました。
 始皇(トゥイホアン)が天下を取ると、李(リー)に、軍隊を連れて臨洮(ラムタオ)の土地を守るよう命令しました。彼の名は匈奴(フンノ)にとどろいていて、かれらはあえて国境に侵入することはしませんでした。
 始皇(トゥイホアン)は李(リー)に輔信侯(フティンハウ)の地位を与え、さらに王女と結婚させました。(すなわち皇妃白淨宮で、六世の代に生まれ、正月10日に亡くなりました。)年を取ると、彼は国に戻りました。
 匈奴(フンノ)は再び国境から侵入しました。始皇(トゥイホアン)は、李身(リータン)のことを思い出し、人を使わして来るようにしました。李身(リータン)は行くのがいやで、山中に隠れました。秦王(ブアタン)はこれを責めましたが、安陽王(アンズォンヴォン)は彼を探し出すことができず、李(リー)が死んだと嘘をつきました。
 秦王(ブアタン)が、なぜ死んだのか聞くと、コレラのためと答えました。秦王(ブアタン)は調べるために使者を送りました。安陽王(アンズォンヴォン)は、お粥を煮てそれを地面に注いで証拠を作りました。秦王(ブアタン)は遺体を持ってくることを要求し、李身(リータン)はしかたなく自死しました(その日は2月2日でした。)
 安陽王(アンズォンヴォン)は、水銀を死体に塗って秦王(ブアタン)に渡すように命じました。始皇(トゥイホアン)は驚いて、銅の像を鋳造し、翁仲(オンチョン)と名付け、運んで咸陽(ハムズゥオン)の地の金馬(キムマ)門の外に建てました。
 像の中には人が何十人か隠れていて、これを揺すって動かします。匈奴(フンノ)はそれを見て、像は生きている将校だと思い、あえて国境はおかしませんでした。
 唐の時代になって、趙昌(チェウスォン)は交州(ザオチャオ)に渡り、南を守る都護(とご)となりました。夜、夢の中で李身(リータン)が「春秋(スアントゥ)」と「左伝(ターチュエン)」の本について話しました。彼の古い家を訪ねる機会があったので、彼を祀る社を建てました。
 後に、高駢(カオビエン)が南詔(ナムチェウ)の敵を打ち負かした時には、李(リー)の霊が降臨して助けました。高駢(カオビエン)は社を修理し、木で彫像を彫り、李(リー)校尉(こうい)の祠と名付けました。今は慈廉(トゥリェム)県の瑞香(トゥイフン)村にあります。(かつては市現(トゥイハム?村)と呼び、今は瑞香(トゥイフン)村と呼びます。)城塞から15里のカイ川のほとりにあります。
 今日も祭礼は最も霊的な社で、毎年恒例の春祭りが行われる國威府の近くにあります。

このような詩があります
文武に優れた偉大な人、
咸陽(ハムズン)に像を残し、胡の群れを鎮め
永著(ビンクォン)で、夢に入り込み経を語り
南天の強大な帝国で祀られる