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もと漁師だった空路(コンロ)と覺海(ザックハイ)が、法術を身につけ、帝に重用される話。でもこの法術ヤモリを落としたり、体が宙に浮いたり、余り役に立たなそうです。
○空路(コンロ)の修行
○覺海(ザックハイ)の修行
○覺海(ザックハイ)と通玄(トンフェン) 呪術でヤモリを落とす
○覺海(ザックハイ)宙に浮く
○覺海(ザックハイ)の入滅

○空路(コンロ)の修行

 海清(ハイタイン)県嚴光(ギェムクアン)寺の禅師空路(コンロ)は、姓は楊(ズオン)という海清(ハイタイン)の人です。何世代にもわたって魚を捕る仕事をしていましたが、仕事を辞め出家して、いつも伽羅尼門(ザーラニモン)経を詠んでいました。

○覺海(ザックハイ)の修行

 彰聖嘉慶(チュオンタインザーカイン 1059-65)の年、李神宗(リータントン 1127-1138)の時代、覺海(ザックハイ)は道友(道を持って交わる人)のため、荷澤(ハーチャック)に隠遁し、この身のことをすべてかまわず、どこにも行かず、中で禅の修行をしていました。

 突然、心神、耳目が、すっきりと明るくなり、空を飛んだり、氷の上を歩いたり、虎を捕まえて服従させたり、龍を捕まえて倒したり、奇怪千万で、計り知れません。そして住んでいる地域で寺院を見つけて、そこに住みました。

 ある日、従者が申しました。「私がここに来て以来、師から必要な事を教わったことがなかったので、次の詩をお聞きください。」

心と体を鍛え、よい精を得た。
暗い中を来て庭で立つ。
誰か空の法則を問う人あり、
屏風に座って影が映る。

  すると師は言いました。

「あなたが歩いてくるなら、私はあなたを導きます。あなたが水から来るなら、私はあなたにそれを与えます。あなたが道を求めるのに、私が「必要」について伝えない場所はありません。」 言い終わると大きく笑いました。

 師はしばしばこの詩を詠みました。

選ばれし蛟龍は地の中に住む、
野生は一日中喜びに満ちている。
時には孤高の嶺に行き、
寒きに長い咆哮をする。

 師(空路(コンロ)?)は、會祥大慶(ホイトゥオンダイカイン 1110-111910年の已亥(キーホイ)6月3日に亡くなり、弟子たちは遺体を火葬し、寺院の門に葬りました。王はこの寺院を拡張するようお触れを出し、20世帯が寄進するようにしました。

○覺海(ザックハイ)と通玄(トンフェン) 呪術でヤモリを落とす

 覺海(ザックハイ)禅師は、青海(ハイタイン)の人で、延福(ジェンフック)寺に住んでいて、姓は阮(グエン)氏です。小さな時から魚取りを好み、いつも小舟を家にして、海や川の上に浮かんでいました。25歳になって仕事を辞め、頭を剃って出家しました。最初は禅師空路(コンロ)を師として崇め、荷澤(ハーチャック)寺に行って、空路(コンロ)の法を尋ねて帰りました。

 李仁宗(リーニャントン)の治世中、師は通玄(トンフェン)真人(悟りを開いた人)と共に、しばしば帝のお召しを受けてそばに使えるために、涼石(ルオンタック)の地の蓮甕(リエンモン)寺に行きました。

 ある日、突然、ヤモリのつがいがお互いに呼び合い、耳に痛く聞こえなくなりました。王は通玄(トンフェン)に止めるよう命じ、玄(フェン)が静かに呪文を唱えると、1匹が先に落ちました。王は笑って言いました。「さあもう1匹残っています。師よどうか呪文をお願いします。」師が呪文を唱えると、あっという間にもう1匹も落ちました。

 帝は驚いて、この詩を作りました。

覺海(ザックハイ)の心は海のごとく、
通玄(トンフェン)の道も奥深い。
神の変化の能力に通じ、
一仏一神仙である。

  それ以来、僧侶の評判は天下に響き渡り、僧侶も俗人も尊敬しました。帝は師として彼を尊敬し、何か喜ばしいことがある度に、海清(ハイタイン)に行き、必ず寺に詣でるようにしました。

○覺海(ザックハイ)宙に浮く

 ある日、帝が師に言いました。「本当の霊的成就を聞かせてもらうことができますか。」すると師は経を8回唱え、体が宙に舞い、地面から5丈になってまた降りてきました。帝と大臣たちは皆一斉に手をたたき、宮殿に出入りできる輿を与えました。

 神宗(タントン)帝の治世中、帝は何度か彼を都に召喚しました。師たちは年を取り弱った事を理由に出向きませんでした。

 ある僧侶が尋ねました。「仏と衆生、誰が客で誰が主人なのでしょう。」師は言いました。

頭が白い事に気がつかず
あなたに客を送ることを告げる。
もし仏界の境なら、
龍の門に額があたる。

○覺海(ザックハイ)?の入滅

 彼が死にかけているとき、彼は彼らに詩を作りました。

春が来て花も蝶もよく時を知り、
花と蝶は時期に応じる。
花も蝶も本来はみな幻、
花や蝶を心に留めるとしても。

 その夜、部屋の南西隅に五丈の大きな流れ星がありました。次の朝、師は座って亡くなりました。帝は30世帯が今後寄進するよう命じ、師の2人の子に報酬として官職を与えました。

 陳太宗(チャンタイトン)の代に、海清(ハイタイン)を天清?(ティエンタイン)としました。天長(ティエンチュオン ナムディン省の古い遺跡)のことです。

後半では、道行(ダオハイン)が候の夫人を妊娠させ、生まれ変わり、帝の養子となって皇太子になり、次の皇帝になり、でも病気になって、かつての弟子明空(ミンコン)に治してもらいます。
○道行(ダオハイン)が夫人を妊娠させ、入滅する
○道行(ダオハイン)は生まれ変わり帝になる
○道行(ダオハイン)と明空(ミンコン)の因縁
○明空(ミンコン)が不思議な力を示す
○明空(ミンコン)が道行(ダオハイン)の重病を治す

○道行(ダオハイン)が夫人を妊娠させ、入滅する

 路(ロ)はそのまままっすぐ侯の邸宅に行き、夫人の沐浴所に向かうと中を見渡しました。夫人は非常に怒り、候に言いつけましたが、候はその意味を理解していて、何も聞きませんでした。夫人は妊娠しました。路(ロ)は候に言いました。「夫人の出産の時が来たら、必ず事前に知らせてください。」

 出産の時が来て、路(ロ)は知らせを受け、風呂に入って服を着替え、弟子たちに言いました。「私の宿因(因縁)は終わっていない。私は再びこの世に生まれ変わらなければならず、しばらくの間王になる。寿命になって死ぬ時は、二十(二十二)天神(20人の神が悪鬼を退治すること)を行う。もしこの身が壊れて土になるのを見たら、それは私が泥中に入ったので、もはや生きておらす入滅したのだ。」弟子たちはそれを聞いて、誰もが感動して涙を流しました。

 路(ロ)は禅詩を詠みました。

秋が来て、雁の帰還が報じられない、
悲しむ人々の中で静かに微笑む。
弟子たちに執着しないよう伝え、
古い師は幾度も今の師となる。

○道行(ダオハイン)は生まれ変わり帝になる

 詠み終わると、そのまま亡くなりました。候の夫人はついに男の子を産み、陽煥(ドゥオンホアン)と名付けました。3歳になると、仁宗(ニャントン)帝は彼を宮中で育て、皇太子にしました。仁宗(ニャントン)が亡くなると、皇太子は即位して神宗(タントン)帝となりました。それは路(ロ)の生まれ変わりです。

 路(ロ)の亡骸は、寧山(ニンソン)県の佛迹(ファットティック)山にある天福(ティェンフック)寺の岩の中に今も安置されています。

○道行(ダオハイン)と明空(ミンコン)の因縁

 さて、その昔、長安(チュオンアン)の地の大黃(ダイホアン)(または嘉遠(ザーヴィェン))県の潭舍(ダムサー)村では、國清(クォックタイン)寺に阮至誠(グェンチータイン)と言う人が住んでいました。僧名は明空(ミンコン)国師と言い、若い頃に遊学し、道行(ダオハイン)(路(ロ)の事)に出会い、教えを学ぶこと10年以上になります。道行(ダオハイン)は、彼の不屈の心がけをほめ、悟りの印を与え、この名を与えました。

 道行(ダオハイン)はこの世を去る時、明空(ミンコン)に話しました。「かつて私の尊師は修行を果たしたが、なお切り傷の報いを受け続けた。この暗く難しい末世で、どうして自分を保つことができるのか。今、世に出ようとしている私は、人の上に立つ立場でいながら、生まれ変わった後の病気の苦しみは避けることができない。あなたとは縁があるから、互いに助け合い救うのだ。」そして道行(ダオハイン)は世を去り、明空(ミンコン)は古い寺に戻り、畑を耕しました。

○明空(ミンコン)が不思議な力を示す

 20年以上、何の新しい知らせもありませんでした。その頃、李神宗(リータントン)(道行(ダオハイン)=路(ロ)の生まれ変わり)は突然奇妙な病気にかかり、精神は錯乱し、痛みと恐怖で大声で叫びました。天下の良医が呼ばれて来て、その数、数千数万になりましたが、なすすべがありませんでした。時に歌を謡う小さな子がいました。「天子の病を治したいなら、阮明空(グェンミンコン)を得なければ。」朝廷は使者を送って探し、彼を見つけました。

 明空(ミンコン)は使者が来るのを見ました。船には船を漕ぐたくさんの兵士が乗っています。それで精進料理を出して食べさせたいと欲し、小さな鍋にご飯を持って行き、船の兵士たちもいっしょに食事するよう彼らに言いました。「みなさん多いので、腹を満たせるか心配です。とりあえず食べてください。」漕ぎ手の兵士は数百人にのぼりましたが、みんなが食べても、食べ尽くせませんでした。

 兵士が食べ終わると、師は言いました。「しばらく寝て、潮が満ちるのを待ってから行きましょう。」彼らは従い、全員が船でぐっすり眠りました。そしてあっという間に船は都に戻りました。漕ぎ手たちは驚いて目を覚ましました。

○明空(ミンコン)が道行(ダオハイン)の重病を治す

 明空(ミンコン)が着いた時、色々な場所で学んだ有名な先生たちが宮殿で法術を行っており、明空(ミンコン)を無知な田舎者と見て、あいさつさえしませんでした。明空(ミンコン)は長さ約5寸の大釘を取って宮殿の柱に打ち付け、声を大きくして言いました。「この釘を抜くことができる者が、病を治す能力がある。」再三繰り返しますが、応じる者はありません。明空(ミンコン)は左手の2本の指で、釘が抜きました。誰もが驚いて感服しました。

 神宗(タントン)に会った時、明空(ミンコン)は大声で言いました。「偉大な人が天子として即位し、四海の富を有しているのに、なぜそのように病で錯乱しているのですか。」帝はそれを聞いてとても震えて恐れました。明空(ミンコン)は大鍋に油を入れるよう命じ、それをよく沸かし、手で4回かき混ぜ、王の体全体に振りかけると、病気はすぐに治りました。帝は明空(ミンコン)を国僧に任命し、彼に報いるために数百戸分の禄(ろく)を授けました。

 太平(タイビン)22年(※太平は3年間?)、辛丑(タンスー)の年、明空(ミンコン)76歳でこの世を去りました。